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活着 巩俐(コン・リー)の映画4

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「活着」は、1994年に中国が制作した長編映画です。この映画は、張芸謀(チャン・イーモウ)が監督し、葛優(グー・ヨウ)、巩俐(コン・リー)などが出演する同名の余華の小説を原作としています。

この映画は、新中国建国後の中国の内戦と政治運動を背景に設定されており、主人公富貴の人生の浮き沈みを通じて中国人の世代の運命を反映しています。

1994年、この映画は第47回カンヌ国際映画祭で審査員賞および最優秀俳優賞を受賞しています。

「活着」の「着」は中国語では数少ない助動詞の一つで、現在完了形を表します。したがって「活着」は「生きている」の意味になります。

 

あらすじ

 

日中戦争終了後の1940年代、裕福な家柄に生まれついた福貴(葛優)は賭博場に入り浸り、一見気弱そうな龍二とのギャンブルに明け暮れます。賭博を止めてほしいと身重の妻の家珍は懇願しますが、結局徒労に終わり、娘の風霞を連れて富貴の許を去ります。

 

負けが込んだ福貴は次々と家財を抵当に金をつぎ込み、気がついた時には代々の土地も家も全て龍児のものとなっていました。すべての財産を息子の道楽のために失った父親は激怒し、息子を杖で打ち据えようとしますが、心臓発作を起こしそのまま死んでしまいます。

福貴はわずかに残った母親の装飾品を道端で売りながら、病床に伏せた母親とあばら家でほそぼそと暮らしていましたが、福貴が賭博をやめたと風の便りに聞いた家珍は生まれた子供・有慶を連れて1年ぶりに戻ってきました。福貴は歓喜して再生を誓います。

まずは小さなお店を開こうと考え、かつての自分の豪邸で暮らす龍二に借金を頼みに訪ねます。龍二は横柄な態度で、金を貸しても救済したことにはならないと拒み、代わりに福貴から全財産を巻き上げる前まで自分が仕事にしていた影絵の道具を譲ります。これで人形遣いなどかつて龍二が率いていた仲間を集め影絵の一座を立ち上げることを勧めます。福貴が金持ちの道楽で覚えた影絵の謡いが玄人並みであることを龍二は知っていました。

福貴は人形遣いの若い春生たちと一緒に一座を結成し、地方を興行して歩きます。そしてある晩、興行中にいきなり国民党に包囲され連れ去れます。兵士たちの戦場での退屈しのぎに影絵の披露するために一緒に行軍する羽目になってしまいました。国民党軍は共産軍に敗れ福貴と春生は捕虜となりますが、ここでも芸は身を助くの諺通り、兵士の慰安に影絵をしながら従軍することになります。ふたりはどんなことがあっても生き抜くことを誓い合いますがやがて二人は別れ別れになってしまします。

共産党が勝利して福貴はやっと家に帰ることができ、家珍と生還を喜び合いますが、既に母は亡くなっており、娘の風霞も病気がもとで言葉を話すことができなくなっていました。

 

共産党政権になって、地主や富豪への糾弾が厳しくなりました。龍二も公開裁判に掛けられ、銃殺刑を言い渡されそのまま刑場に連行されます。市民は「毛沢東万歳」を叫び道を開けます。ひきずり回される龍二と人ごみにもまれてそれを見ている福貴の目が一瞬合い、龍二が何か言いかけますが群集の騒音に紛れて聞こえません。家に逃げるようにして却ったスク貴は怯えて家珍に言います。「あのまま家を持っていたら自分が銃殺されていた」。

1958年、毛沢東は悪名高い「大躍進運動」を開始します。欧米に追い付くには重工業を発展させなければならないと、鉄鋼を全国から鍋・釜に至るあらゆる鉄を集めて製鉄を奨励しました。粗悪な製鉄品は使い物にならず、農具を供出した農民は農作ができなくなり、旱魃も相まって、実には全国で2000万人以上が餓死したという大失策でした。これで毛沢東は文化大革命を起こすまでのあいだかつての指導力を失います。

 

福貴一家はまずしいながらも肩を寄せ合っていきていましたが、街の祭りで影絵を演じている福貴に息子の有慶が区長の運転するトラックに轢かれたとの知らせありました。現場に駆けつけた福貴は変わり果てた我が子を目にして愕然とします。同じく駆けつけようとした家珍でしたが、母親に見せるには余りにも無惨だと大勢で行く手を阻みます。

 

悲しみに暮れて家族3人で有慶の墓を拝んでいるところに、村長が花輪をもってやってきて、区長が墓に参りたいと来ていることを告げます。家珍は狂乱し、来なくていいと叫びますが、福貴に近づいた区長は「福貴、僕だ、春生だ」と告げます。戦場で離ればなれになった春生は共産党の中で出世し、区長となって赴任してきたのでした。(この辺は少し話を作りすぎている感は否めませんが)

 

文化大革命の嵐が吹いた1960年代、村長がやってきて影絵の道具は処分した方が無難だと忠告し、それと同時に風霞に縁談を持ってきました。福貴は忠告通りにやむなく影絵の道具を処分し、そして縁談がまとまり風霞は二喜という若者と結婚をして幸せそうな顔を見せていました。

二人きりになった福貴と家珍でしたが、二喜たちがたびたび訪ねてきては大事にしてくれるうえ、妊娠もして幸せそうな風霞を見て二人も幸せな気持ちになるのでした。

しかし、この文化大革命という世相が再び福貴たちに悲運をもたらすことになるのでした…

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