日本での中国人

渋谷にて

投稿日:1月 13, 2020 更新日:

渋谷駅で電車から降りたときにホームの左の方から近付いてきた人影に気がついた。そしてその人影は私の目の前に何かを突き出した。

私はその日、大宮で仕事関係の発表会があり、そのあとホテルのロビーでの打ち上げのパーティーに参加した帰りで、湘南新宿ラインに乗って渋谷で降りたのである。パーティーでは多くの人とあいさつを交わし、酒を酌み交わしながら談笑したせいで少なからず酔いが回っていた。電車を降りるときも多少足取りが心もとなかった。夜の9時を少し回った時分だったが、ホームにいる人はまばらで、私の乗った車両から降りたのは私を含めて2,3人だった。
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その突き出されたものはスマートホンであった。私はスマートホンを突き出したその相手顔をみると二十歳前後と思われる若い女性であった。彼女は不安そうな表情を浮かべて私を見てからスマートホンの画面を見た。私もその目線につられて画面を見るとそこに大きな文字で「中目黒」と表示されていた。

私はすべてを理解した。彼女は中目黒に行きたいのだが、乗り換えの方法がわからないのである。誰かに聞きたいのだが、彼女は日本語を話せないか、もしかしたら言語そのものを話せないかのいずれかであろうと考えられた。前者であるとしたら、スマートホンに漢字を表示できるのは中国人としか思われないので、迷わずに「你是中国人吗?(あなたは中国人ですか)」と中国語で尋ねてみた。彼女は驚いたように私を見て「是的そうです」と中国語で答えた。他に適当な人も見つからず、やむを得ずに酔って顔を赤くした中年男に頼るしかなかったのであろうが、いきなり中国語が返ってきたのだから驚いても不思議ではない。

私は若い時に中目黒に住んでいたことがあるにも関わらず、酔いのせいか直ぐには何線に乗り換えるのか頭に浮かばず、取り合えず「一起走吧(一緒に行こう)」と彼女を促した。新宿湘南ラインのホームは長く乗り換え用の出口は一か所だから歩きながら路線を思い出すことにした。少し歩くと、東横線に乗り換えればよいこと思い出したので、そのように彼女に伝えようとしたが、「横」の発音が思い出せない。そういえば中国で「横」という字をあまり見かけた経験がない。だから読み方も身についていないのだ。筆談であれば一目瞭然であるが、会話で発音の分からない固有名詞を伝えることは不可能であることに今更ながら気が付いた。改札を出たときに「東横線」書いてある表示を指差すしかないと、もどかしさを感じなら思った。

新宿湘南ラインのホームは異常に長い、その長いホームを知らない男と歩いている若い女性も不安であろうから、いい機会とばかりに久しぶりに中国語の会話を試すことにした。

「什么地方的人?(どこの地方の方ですか)」とお決まりの質問をしたところ、「台湾です」と意外な応えが返ってきた。中国でこの「什么地方的人?」と質問するときは「我是上海人」 「我是安徽人」とかの返答を期待しているものだが、台湾は予期しない回答であった。私はちょうどそのころ楊德昌監督の台湾映画「牯嶺街(クーリンチエ)少年殺人事件」を観て、台湾の日本統治時代と国民党統治時代に関心を抱き、当時に関する文献やインターネット情報を調べていた。

50年間も日本人として日本の教育を受け日本語を話したあとに、突然今度は中国人として中国語を強要され、さらに白色テロが吹き荒れた時代を生きざるを得なかった台湾の人々の苦難を思うと、台湾の人に親近感を感じると同時に申し訳ない気持ちにもなるのだった。

「你来日本工作吗?(仕事で来たの?)「不,玩儿呢(いえ、遊びです)」

そのあと中目黒には昔住んでいたなどと当人は関係のない話などしてしまったが通じたかどうかは定かではない。若い女性からすれば酔ったおじさんと並んで歩かなくなくてはならない羽目になり、おまけに下手な中国語で話しかけられて迷惑だったであろうし、不安でもあったろうと思う。

いくつか会話をしているうちにやがて改札に着いた。これまで歩いてきたホームと違い改札の向こうは人でごった返していた。東横線の案内表示を見つけた私は彼女にそれを指し示し、彼女は私に軽く会釈をしてその矢印の方向に人をかき分けるようにして歩いて行った。私は小さくなっていく彼女の背中に向かって「再見!」と叫んだ。彼女は振り返り、初めて安心したような笑顔をみせた。

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