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中国では忘年会?それとも新年会?

投稿日:12月 31, 2017 更新日:

私の勤めていた上海の工場には1500人からの出稼ぎ労働者いわゆる「農民工」あるいは「民工」と呼ばれる人々が働ていました。彼らは正月(春節)に一斉に里帰りします。その規規は日本の帰省ラッシュをはるかにしのび、ほとんどの人が1年に1回の帰省なので、日本のひと昔前にあった「藪入り」を思わせるものでした。そして、そのうちの何%かは帰ったまま工場には戻りませんでした。

春節は従業員の入れ替えのシーズン

従業員1500人のうち半数の750人が入社して1年以内に離職します。他の日系企業に比べて特に多い方でもなく少ない方でもありません。その離職の一番多いのがこの春節の時期です。戻るはずが戻らない人もいれば、正月を区切りとして工場を正式に辞めて故郷に戻る人も多くいます。人事課の社員は自分が帰省から戻った後に、その減った人員の補充が連休明けの初仕事になります。大変な数になりますが、補充員はすぐに見つかります。新たに春節明けに地方から出稼ぎに出てくる若者もまた多いからです。
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従業員が春節で里帰りする前に楽しみにしているものがあります。それは忘年会です。社員全員が参加する盛大なものですが、会社が全費用を出しますので、負担もかなりなものです。総務では何カ月も前から準備をします。社員はなにせ1500人を超えます、しかも全員をワンフロアに収納してステージもなくてはなりませんから可能なレストランは限られます。他社も同様に狙っていますので当然早い者勝ちで予約しなければなりません。社員もかくし芸大会に向けて早々と準備にかかります。かくし芸大会は忘年会のメインイベントで、かなり気合を入れて練習をしているようです。

総勢1500人がワンフロア―で大宴会

忘年会は春節に入る前の休日の昼に開催されます。1500人が一堂に会してそれぞれが円卓に20人ずつぐらいのグループに分かれて座っている光景はなかなか壮観です。日本人社員はステージの真ん前のテーブルに座ります。どういう風に選ばれたのか分かりませんが、男女一人づつの司会が面白おかしく掛け合いをしながら進めていきます。ある年に製造現場の真面目でおとなしい係長が司会を務めると聞いたの時は少し驚きかつ心配もしました。ところが現場での作業服姿から一転してダークスーツに身を包んだ彼は、意外と颯爽としている上に、みんなの笑いを誘うのも上手で、人は見かけで判断できないと改めて感じました。女性の司会者にはやはりみんなが利発で美人と認めている人が選ばれていました。

司会の進行でトップが日本語で挨拶したあとに、私が乾杯の音頭を取りました。通訳が翻訳しながらの乾杯音頭ではしまりないので無理をして中国語でやりました。「皆さんの努力への感謝と、これからの会社の発展のために、乾杯」。私の一言に合わせて1500人の人たちが一斉に「乾杯」と叫んで杯を掲げて飲み干す光景は圧巻であり、とても日本では得られない経験です。中国に赴任してきたことの幸運を改めて感じた瞬間でもありました。

かくし芸大会で分かる多民族国家

さて、食事が一通り出揃った頃に待望のかくし芸大会が始まります。カラオケ独唱から、ギターの弾き語り、バンド演奏、寸劇、ダンスなど盛り沢山の演目が続きます。なかには民族衣装をまとった地方色豊かな踊りもあります。中国のあらゆる地域から55もあるといういろいろな民族が上海に働きに来ていることを実感します。

民族衣装を着て踊るチベット族の従業員

 

ステージで演じている同僚を応援しようと同じ職場の人たちが席を離れて前に移動してきます。また、広いフロアなので後ろの席からではステージが遠すぎよく見えないために最初から前の方に詰めている人も多いので、前の方の席のまわりは人だかりができて大変な混雑です。一番前の中央を占めている日本人のテーブルにはそんな人たちのひときわ熱い視線が注がれています。出演者の演技に対する評価を、日本人が採点するからです。日本人にはあらかじめ採点表が配られており、一つの演目が終わるたびに点数をつけ、最後に回収されて順位が決定します。その順位を発表するときの熱気と歓声は大変なものです。

そして最後は豪華景品が当たる抽選会です。日本ではさしずめビンゴゲームで決めようかというとことですが、なにせ1500人もいるのでそうもいきませんし、中国ではビンゴゲームは一般的ではありません。使ったのはパソコンのソフトでスロットマシンのようなものです。ステージのモニターに映し出される社員番号が目まぐるしくスクロールしている状態でストップ用キーを押すと一つの番号のところで止まり、それが当選となるものです。キーを押すのは日本人社員で、景品が上位になるほど、上位職の者が指名されてストップキーを押します。派手な効果音とともに番号が回りだすと場内は騒然となり、最高に盛り上がります。

さて、当選者が決まると、司会者が改めて社員番号と氏名を読み上げて、その人は身分証明書を持って、景品を受け取りに前に出て来るように言います。1500人もいて、出てきた人が本当に当選をした人なのか、運営スタッフには分からないため身分証明書証で本人であることを確認するわけです。中国では身分証明証は常に携帯していなければならず、身分証明書を持ってきていないという人はまずいません。

その場にいない人が当選したら?

身分証明証を持ってきていない人はいませんが、本人がいないということは時々あります。司会が何度名前を呼んでも反応がありません。その時会場で一斉にカウントダウンが始まります。別に司会が音頭を取ったわけではないのですが、誰からともなくカウントダウンを始めると皆がそれに合わせて大合唱するわけです。「10、9、8、・・・」と進み、最後に「零ling(ゼロ)!」とひときわ大きい合唱が起きて、当選は無効とされて抽選のやり直しになります。

最期の1等が決まって景品の目録の授与が終わったころには、12時に始まった宴会も既に3時を過ぎています。司会者が新年も頑張ろうと言って閉会を宣言し、一同拍手して盛り上がった会は終わります。日本のように指名された者が、締(しめ)を行うこともありませんし、上役のところに来て「今年はお世話になりました、来年もよろしくお願いいたします」などと挨拶する人もいません。終わったらあっさりと各自帰るのが中国流です。

ほとんどが若い女性の参加者

 

忘年会なのか新年会なのか

ところで日本人たちはこの会を忘年会と思っています。日本の正月は既に終わっていますが、中国の正月(春節)はこれからなので、年の瀬に行うから忘年会と思うのは当然なところです。ところが、会を準備する中国人の運営スタッフこそ、日本人にあわせて「忘年会」として案内状なども作成しるのですが、どうも中国には忘年会という風習はなく、中国の人たちはこの宴会を「新年を祝う」会と捉えているようです。

会の最初の挨拶で日本人トップが日本の忘年会よろしく、「今年の会社の成績は・・・」などとやりだしたので、会場はシーンとしていました。つぎの私の乾杯の音頭の時に、ステージに上がって最初に発したことばが「新年好!(新年おめでう)」でした。これには間髪入れずに全員の「新年好!」の大合唱が反ってきました。私は「よし、これで盛り上がった」とひとりほくそ笑んだものです。

ある年の忘年会の後日談になりますが、その年の会のかくし芸大会の優勝者は品証部の関さんでした。彼女はカラオケで日本の歌を日本語で歌いました。曲名はアンルイスが歌った「グッドバイマイラブ」です。この曲は鄧麗君(テレサテン)が同じ意味の「再見我的愛人」という曲名で中国語で歌っていましたので、中国人でも知っている人は少なからずいます。通常、忘年会の演目としてはカラオケは特段の練習をしなくとも簡単にチャレンジできるので日本人審査員の評価も低く優勝は難しいのですが、彼女の歌は別格でした。完璧な日本語で情感あふれている上にとても美人であったので、日本人審査員の心をつかんでしまったのです。

役所開催の工業団地従業員芸能大会

さて、会社が誘致を受けている工業団地を管理している役所があるのですが、この役所がその年の秋に中秋節を記念して、工業団地に勤める従業員による演芸大会を開催することにしました。その会に中国での上級役人やら軍関係者、そして誘致を受けている日系企業などの関連する各企業の関係者を招待して自らの事業の盛況をアピールするのが狙いのようでした。

その会には各企業から芸自慢の従業員を集めて競わせ、優勝者を招待者の採点で行うといったもので、会社の忘年会と同じような構成でしたが、ステージや照明など明らかにプロが仕切っている比較にならないほどお金のかかった大会になっていました。演目の中に各予選を勝ち抜いた歌自慢の従業員による決勝歌合戦がありました。その歌合戦の予選に我が工場の関さんが選ばれたのでした。彼女は順当に予選を勝ち進み遂に決勝大会出場することになったのです。

私は日本人幹部と中国人幹部の6,7名と一緒に彼女の応援に行くことにしました。その役所のビルは、周りに何もないような広い敷地にただひとつヌーと立っている15階建てビルでその1階に、これまた広いイベントホールを持っていました。会場のステージには「嘉定工業区第1回誘致企業工員演芸決勝大会」と横書きされていました。

プロの男女司会者による開会宣言

 

工業団地の責任者の挨拶に続いて招待された役人の挨拶が続き、まずは軍の専属歌手による歌で宴が始まりました。

軍服を着た軍専属の歌手

 

こんな時に日本の歌が?

中国の古楽器の演奏やら漫才があって30分ほどしてやっとお目当ての歌合戦が始まりました。決勝に残った7人がそれぞれの持ち歌を歌います。素人が歌うのど自慢といった雰囲気ではなく、各自にスタイリストが付いて、振り付けもあり、プロと同じ演出での歌なので見ごたえがありました。関さんの順番が回ってきましたが、私にはひとつ気になることがありました。彼女は私の会社の宴会では日本の歌を日本語で歌ったために優勝しましたが、その後、漁船の衝突事件による尖閣諸島の問題で反日感情が悪化し、日本車の焼き討ちなどが各地で起こり、反日デモが大きく報道されていたからです。彼女がこのような時期に中国の役人や軍人の招待客の前で日本語の歌を歌うことが可能なのだろうかという疑問が沸いたのでした。主催者側から日本の歌は止めて中国の歌にするよう働きかけがあったかもしれません。そんなことを考えながら彼女が歌いだすのを固唾をのんで見守っていました。しかし、それは杞憂でした。彼女は優勝こそ逃しましたが日本の歌を日本語で見事に歌いきりました。

プロ並みに演出されたステージ

 

全員参加の忘年会もついに終焉

社員全員が参加する盛大な忘年会も年々運営が開催が難しくなってきました。1500人もの人員を収納できる大型レストランが減少して来たからです。ある年ついに一時的とはいえ社員が2,000人を超えました。さすがにこれだけの人数の葉入れる会場は見つかりません。これを機に全員参加の忘年会は止めて、部署単位の階にしようということが決まりました。費用は部署ごとの人数に比例して会社が負担することにしました。やむを得ない決定と言えます。

ところが困ったことが起こりました。総務などの間接部門と製造部門そして大所帯の品証部門の3つに分かれると思っていましたら、何と全部で細かく7部門に分かれてしまったのです。品質保証部門は500人を超える大所帯ですが中国人の部長がにらみを効かせるているのでまとまっていますが、900人近くいる製造部門の部長は日本人でにらみがききません。その下の課・係の5部門のリーダーがそれぞれ個性的な中国人たちでしたので、協調性がなく、それぞれで忘年会をすることになってしましました。

予想通り、日本人幹部には全部門から忘年会への招待メールが飛んできました。自分が統括する総務部門はともかくとして、製造と品証の2つに出ればいよいと思ったいたところが、合計7つの忘年会から招かれてしまったのです。全部に参加した強者もいましたが、私は3部門だけで勘弁してもらいました。

最大の品証部門はそれでも500人を超えますので日本では考えられないくらい盛大な忘年会で、かくし芸大会もありました。しかし、全員参加の忘年会に比べてやはり物足りない気がするのはやむを得ないといえるでしょう。

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