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中国における都市籍と農村籍は身分制度なのか

投稿日:12月 23, 2017 更新日:

上海の工場に赴任して1年ほど経って、総務部門の統括もすることになりました。人事課から上げてくる書類も見るようになったのですが、給与の計算が複雑で、人によって計算方法が違っていることに気が付きました。給与から天引きする社会保険と年金の算出方法が違っているのでした。

人事課の呂さんに聞くと都市籍の人と農村籍の人とでは適用される制度が違っているので別々に計算していることを説明してくれました。明らかに都市籍の人の方が優遇されており、農村籍の人が受けられない保険などがあったりします。そしてその不利な農村籍の従業員が圧倒的に多いのでした。

子供を上海の小学校に入学させたい

あるとき、製造現場の荷係長が給与を上げてほしいと会社のトップ(総経理)に直に談判を始めました。荷係長は上海の工場を立ち上げた時以来の従業員で既に4年が経ち最古参の社員のひとりです。地方からの出稼ぎで来ていましたが、仕事も熱心なので会社トップからの信頼も厚く、いずれは上を目指せる人物でした。

その彼は地方に残していた家族を既に呼びよせて一緒に住んでいましたが、息子が小学校に上がる年齢になったということです。ところが、今の中国では農村籍の子供は都市の小学校には入学ができない制度になっているのでした。しかし、借読費と呼ばれる年間1万元の金額を支払えることができれば入学できるのも事実でした。中国では制度がありながらお金で解決することが多くあります。一人っ子政策も実施面でお変えられてしまうことが当たり前のように起こります。

上海市嘉定区の小学校

 

荷係長は息子を近くの小学校に入学して通学させるために、借読費の一部を就学手当として給料に盛り込んでほしいと頼んでいるのでした。会社のトップは彼が何度足を運んでも断固としてこの要求を突っぱねました。そのころ上海の最低賃金は上がる一方で、それに合わせて全体の給料も底上げしてきましたので人件費はかさむ一方で、人件費が製造コストの60%にも達していました。当時会社はより人件費の安いベトナムに工場を建設して運転を開始しようとしていました。荷係長の要求を呑んで特別手当を認めれば、我も我もと後に続く人が現れて人件費がさらに増大するのは必至でした。トップとしては温情に流されることなく厳しい態度を取らざるを得なかったわけです。荷係長は妻と息子を就学のために出身の地方に戻すしかありませんでした。
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農村が都市を包囲する

私はこれらの経験から、中国には都市籍と農民籍という二つの身分からなる身分制度が存在すると明確に認識するようになりました。しかし、共産主義革命を目指した中国でなぜ身分制度があるのでしょうか。しかも農村出身の毛沢東が「農村が都市を包囲する」をスローガンに農民の力をバックに革命を成功させた歴史があり、鄧小平も農村出身であり、今の習近平国家主席も戸籍上は農民籍です。それなのに何故農民籍を都市籍よりも下位にする身分制度が存在するのか不思議でなりませんでした。その何故を解くには中国の歴史を紐解かなければなりません。

人口流入の結果は?

1960年代の中国においては計画経済を推し進めようとしていました。そのためには多くのことを管理しなければなりませんが、とりわけ人口の移動を管理する必要が出てきました。人口が移動すると生産計画や都市計画さらには政治的に教育していくことが困難になります。

更には多くの農民が仕事を求めて流入した場合に、やがて労働力の需要が供給を下回り、やがて都市には仕事にありつけない人があふれてスラム街を作るようになります。これは多くの開発途上国でも起こっていることとして知られています。貧困のない社会主義国家をめざす中国にとって都市のスラム化は絶対に避けなければならない課題でした。そこで、都市籍をもつ者だけが都市の提供する各種サービスを受けられるシステムを作り、戸籍制度を使って都市籍以外の人口の都市への流入を防ごうとしました。農民を農村に縛り付けようとしたわけです。

一方で、開放経済を推し進めるために政府は、インフラの整った都市部郊外に海外の企業向けの特別の優遇措置を伴う工業用地を誘致して、多くの海外気企業の工場が建ち並ぶことになります。その労働力を担うのは都市の住人ではなく農村からの若い出稼ぎ労働者即ち農民工たちです。このようにして都市部は多くの農村民籍の人々が住むようになり、制度的に優遇される都市籍住民と優遇を受けられない多くの農民籍住民が同じ地域に住むことになりました。

農村の住宅

農民籍のものは都市に何年住もうとも農村籍のままであり、その子供もが都市で生まれたとしてもやはり親と同じ農村籍です。一部の特例を除いて都市籍にはなれません。このように、生まれた時の戸籍はでその後の待遇が決まってしまうという「身分制度」が形成されたとされています。

身分制度と差別意識

こうみてきますと、この「身分制度」は政策が招いた制度上のひずみであると言えますが、一般的に身分制度には相手を下に見る差別意識というものが根底にあるはずです。中国の都市籍のものは農民籍の者に対して差別意識を持っているのでしょうか。中国で行った意識調査ではやはり都市住民が流入農民に対して少なからず排他的な意識を持っていることとが見て取れます。

私の勤めていた工場では、事務職などなどは地元上海人がそれなりの数でいましたが、製造現場では1500人を超える地方からの出稼ぎの農民工が働いていました。都市籍の者が農民籍の者に差別意識をもっているのか、外国から一時的に来て滞在している我々には感じ取ることはできませんでした。差別意識というものは表面には出てこないものです。

あるとき、都市籍の者に比べて暮らしがなかなか良くならないと不満を持つ農民の代表が共産党の最高指導者に会う機会を得たのでこう聞いたそうです。「農民のための革命と言っていたけれども都市の者に比べて農民の暮らしが今だに貧しいのはおかしいではないか」と。そうしたところ、かの革命の英雄は平気な顔でいとも簡単に答えたそうです。「農民を喰えるようにしてやるとは言ったが平等に扱うと言ったおぼえはない」と。「共産党と国民党とどちらがお前たち農民を喰えるようにしてやるのか考えろ」と農民を結集させて革命を成功させたのは毛沢東ですが、その彼も農村出身とは言っても、大地主の息子であり、高等教育も受けていますので農民としての自覚があったかどうかは疑問です。

私は南京の城壁を見た時に、高い城壁に囲まれて共同生活する市民と城壁の外に追いやられた農民との間の意識の差というものを感じないわけにはいきませんでした。(→南京城壁に関する記事)、中国での長い歴史の中で都市住人と農民との間には超えられない溝があるように思えます。

制度が差別意識を生むのか、逆に差別意識があったからそのような制度を作り上げるのか。卵が先か鶏が先かの話なのかもしれません。最近の中国政府では戸籍を統一しようという動きも出ているようですが、一度根付いた差別意識は簡単には払拭されないと思えます。工場で働いていた屈託のない若者たちの顔を思い出すたびに、出稼ぎして家に仕送りをしなくて済むような社会の実現を期待しないわけにはいきません社会主義の国なのですから。

参考文献:岡田茂人著「不平等国家 中国」中公新書

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