台湾の映画

台湾映画「非情都市」で唄われる「幌馬車の歌」

投稿日:11月 5, 2017 更新日:

台湾映画「非情都市」は1989年に候孝賢監督が台北の北に位置する採鉱の街九份を舞台にして本省人の国民党政府に対する抵抗運動と国民党によるその圧殺とを真正面から描いた映画として、世界的な評価を得ました。

 

台湾での国民党による白色テロは1947年2月28日に起きた228事件に端を発した本省人への徹底した弾圧として起こりました。中国大陸で培われた汚職と「たかり」の性癖にまみれた国民党軍の統治政治は、日本の清廉な統治政治に馴れていた本省人にとっては我慢のならないものでした。その日、一人のヤミ煙草を売る本省人の中年女性が官憲に蹂躙される事件が起き、そのことを抗議するために役所に詰め寄った民衆に対して、軍が機関銃を掃射して追い払ったために多くに犠牲者が出ました。これがきっかけで中華民国統治に不満の鬱積していた全国の本省人に抗議運動が起こりましたが国民党側は各地で無差別発砲や処刑を繰り返すだけでした。

本省人は対抗手段として日本語で話しかけて日本語が通じない者は外省人として暴行に及びました。本省人と外省人との対立という構図になってしまいました。台湾行政府長官陳儀は行政改善などで対話の姿勢を示して時間を稼ぎ、その間に蒋介石に窮状を訴えて援軍を依頼しました。

到着した援軍を背景に行政府は抗議する民衆を殺戮でねじ伏せただけではなく、日本の高等教育を受けた大学教授、企業経営者、法律家、裁判官を次々と逮捕して処刑して行きました。本省人の知識階級を皆殺しにするという恐怖政治の始まりでした。1992年に台湾の行政府は、事件の犠牲者数を1万8千〜2万8千人とする推計を公表しています。

 

この映画の主人公である文清は抵抗組織のメンバーというわけではないのですが、周りの若者が抵抗運動に身を投じる中で一緒に逮捕され投獄されます。

仲間は碌な取り調べも受けないまま、獄舎から一人またひとりと刑場に引き出され銃殺されていきます。文清はその都度次は自分の番かと身をすくめますが

口のきけない障害者ということもあってか釈放されます。そして獄舎で処刑された仲間の遺品を家族に届ける旅に出ます。

獄舎から引き出されて処刑場に向かう仲間を残ったみんなが歌を唄って見送るシーンがあります。その歌は日本語の歌詞なのですが、その哀愁に満ちたメロディと、いずれは自分も彼に続くと覚悟した者たちの低く響く歌声は観ているものをやるせない気持ちにさせます。

この歌は「幌馬車の歌」という日本の歌で、実際に二二八事件で処刑される仲間を獄舎内で見送るときに唄われたという史実に基づいています。

 

1番はこういう歌詞です

「夕べに遠く 木の葉散る

並木の道を ほろぼろと

君が幌馬車 見送りし

去年の別離が 永久よ 」

 

もともとは日本で流行歌として昭和七年に発表されたものですが、国内ではあまりヒットせず何故か日本統治領の台湾では大変流行ったということです。台湾では歌詞の内容とそのメロディーから送別会などで人を見送る歌として出席者が全員で合唱することが幅広く普及しました。これがもとは日本の流行歌であることを知らない人も多かったようです

民主化運動を指導して多くの台湾人の尊敬を集めていた鐘浩東が白色テロで国民党政権により投獄され公開処刑されるときに、獄中の仲間に頼んでこの歌を唄ってもらって刑場に向かったことが、この歌が獄中で歌われた最初と言われています。この話が広く伝わり、いつか、処刑されてゆく仲間を見送るときにはみんなでこの唄うことが通例となりました。


鐘浩東は学校での日本人教師による差別発言で反日感情を強め、中国人としての意識に目覚めました。大陸での抗日戦争が本格的になると1940年に大陸に渡り抗日戦線に参加しようとします。しかし国民党軍に日本のスパイではないかと疑われて半年牢獄に繋がれましたが、嫌疑が晴れて抗日戦線に参加ができました。戦後台湾に戻って基隆中学校校長に就任して民主化運動に力を入れたが、二二八事件で国民党政府に失望し、中国共産党に入党、共産党基隆中学校支部を組織しました。1949年8月に鐘浩東は発行している地下新聞「光明報」の件で数人の学生とともに逮捕されます。数々の拷問にも耐えて主義を変えなかった彼は死を覚悟し、学生たちに自分の名前が呼ばれたらみんなで「幌馬車の歌」を歌って見送ってほしいと話をしてありました。そして1950年10月14日ついにその日が来て、約束通り学生たちの歌に送られて獄舎を出た鐘浩東は、馬場町に設けられた公開処刑場に向かい銃殺されたのでした。

 

1995年に候孝賢監督が発表した日本台湾合作映画「好男好女」ではこの鐘浩東が抗日戦線に参加するために大陸に渡航し、国民党軍にスパイ容疑でつかまり銃殺寸前までいったことから、帰国して処刑されるまでの経緯を描いています。この映画の中でも鐘浩東が刑場に引き耐えられるときに獄中の仲間が「幌馬車の歌」歌うシーンが出てきます。

この映画は台湾の二二八事件や白色テロをテーマに多くの作家活動を続けている藍博洲が著わした政治的迫害を受けた人々のドキュメント「幌馬車の歌」を原作としています。

 

何故、抗日戦線の闘士でもあった鐘浩東が最期に及んで日本の歌で送って貰うことを望んだのでしょうか。一説では彼がこの歌を、日本の歌ではなく、もともとはイギリスがフランスの曲が原曲だと思い込んでいたふしがあるというのがあります。確かに馴染んで口すさんでいた歌が実はどこかの国の民謡だったことを後で知ったということはよくあることです。

しかし、この歌がどこの国で作られたかということよりも、この日本語の歌詞を自分たちの言葉として去りゆくものに投げかけてきた台湾の人々には、それぞれにこの歌詞に対する思い入れがあり、自分が去るときはこの歌で、この歌詞で見送ってほしいという思いが強い人もいるでしょう。たとえ筋金入りの抗日烈士であったとしてもです。
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