台湾の映画

台湾映画「恋恋風塵」における台湾語と北京語

投稿日:11月 4, 2017 更新日:

恋恋風塵は1986年に制作された候孝賢監督の台湾語による台湾映画です。脚本は吳念真で、自らの青春時代を描いた半自伝的な物語となっています。簡単なストーリーを紹介しますと、

1960年代の後半、王晶文演じる阿遠と辛樹芬演じる阿雲は1歳違いの幼なじみで採鉱の街九份に住み毎日一緒に学校へ通い、一緒に家に帰っていました。阿遠は先に中学を卒業し台北に出て印刷工のアルバイトをしながら夜間高校に通います。1年後に台北に出てきた阿雲は裁縫店に勤めます。二人は漠然と将来結婚するものと思っているようでしたが兄と妹のような関係で手も握ったことはありませんでした。そのうち阿遠に兵役が来て金門島に渡ります。阿雲は毎日手紙を書くことを約束し、実行しますが、やがて阿雲からの手紙が途絶え、ついにほかの男と結婚したことを知らされます。…

 

台湾語とは

この映画は全編を台湾語で構成しています。1960年代の台湾の田舎では台湾語が話されていたわけです。

台湾では17世紀から19世紀にかけて中国大陸の福建省南部からの移民者が多く台湾に渡ってきて台湾原住民と融合しました。この人たちが本来の台湾人なわけで、話す言葉も福建省南部の方言である閩南語現が使われていました。これが台湾語と言われている言語のルーツです。このほかに台湾の奥地に住み移植民たちと交わらなかった少数の民族が多くあり、それぞれ相通じない言語を持っていました。

日清戦争に勝利した日本は1894年に清朝から台湾を割譲されます。この時から1945年の終戦までの50年間台湾を日本の統治することになりました。日本は軍隊や警察官を派遣して統治政治を推し進めるために、台湾人たちの言語を理解しようとしました。当時の台湾に移植した人の約30%は台湾語を話すことができたと言われています。

日本は台湾中に学校を建設し日本語による初等教育を実施しました。このことは現在の台湾の発展の礎となったものです。互いに言語の通じなかった地方の諸民族は共通の言語としての日本語を得たことで交流が可能となり、積極的に日本語を使うようになりました。現在でも地方では日本語を母語とする人々が多く存在しています。

 

1945年の日本の敗戦後に台湾に移り住み統治したのは蒋介石率いる国民党です。国民党政府は日本の影響を払拭しようとして日本語を禁じただけではなく、日本の高等教育を受けた知識人をことごとく虐殺しました。彼らは日本のように彼らの話す台湾語を理解しようとはせず、自分たちの言語である北京語を標準語として一方的に台湾人に押し付けました。

子供たちは学校では北京語の教育を受け家庭では親たちと台湾語で会話をしていますので、台湾語は生き残っています。公用語やラジオ、テレビは北京語ですので北京語は聞いて理解することはできますが台北よりも南の地域では一般会話は台湾語ということは未だに続いています。これは台湾で限ったことではなく、上海でも地元の人は北京語を母体とした共通語(普通語)は理解できるがうまく話ません。上海人同士は上海語で話しますが、他の地方の中国人がその会話を聞いても何を話しているのか全く分からないのと同じです。




国民党と一緒に大陸から移植して来た人を外省人、それまで台湾にいた人々(ついこの間までは日本国籍を有する日本人だった)を本省人と呼びます。この映画の主だった登場人物は地方に住む本省人たちで、台湾語で会話をしています。

その中で北京語を話す人がわずかですが登場します。学校の先生と郵便配達人と兵士の一部です。彼らは外省人です。郵便配達の若者は阿雲に手紙を配達するときに北京語で話しかけて来ます。徴兵でかき集められた兵士の中には外省人も当然いるわけで、家族からの手紙について北京語で会話をしています。

外省人監督のこだわりと決断

この映画は本省人を描いていますので台湾語(閩南語)で会話されています。これだけの出演者が台湾語で話しているということは映画制作時の1980年代でも台湾語が実際は多く話されていることを示していると言えます。決して映画用に台湾語を訓練して話させているわけではありません。この映画発表の2年後の1989年に候孝賢監督は同じ九份を舞台にして本省人の国民党政府に対する抵抗運動と国民党によるその圧殺とを真正面から描いて世界的な評価を得た「非情都市」を発表しています。

主人公の文清には中国大陸から人気の俳優梁朝偉(トニーレオン)を招き、ヒロイン寛美役にはこの映画の阿雲を演じている辛樹芬が再び抜擢しました。台湾語を話せない梁朝偉には当然台湾語の特訓が課せられました。ところがこの閩南語というのは声調が7つもあります。声調が4つの普通語でさえ身につかなかった日本人としては気の遠くなるような言語です。声調4つを使いこなしている大陸中国人があと3つ増えても何とかなるだろうという甘いものではないのが言語です。長期の特訓にもかかわらず梁朝偉の話す閩南語はネイティブには程遠いものでした。

主人公の本省人が北京なまりの台湾語では映画のリアリティが削がれます。撮影開始のタイムリミットに迫られて頭を抱えた外省人の候孝賢監督は遂にまさかの決断をしました。主人公清文の役回りを口のきけない障害者にしてしまったのです。これで梁朝偉は怪しげな台湾語を話さなくて済んだのですが、その原作変更が幸いしたのかそうではなかったのかは観る人によって感想が分かれるでしょう。映画を既に観た後にこのエピソードを聞いた私は映画への印象が大きく変わったのは事実です(知らない方がよかった)。

北京語はステータス

北京語は公用語なので北京語が流ちょうに話せることが台北などの都会で成功していくには必須となります。本省人はその意味でもともと北京語を話す者が多い外省人に対してハンディを負っていると言えます。阿雲は阿遠が兵役についている間に外省人の郵便配達人と結婚してしまいます。それを知った阿雲の父親は郵便配達人は将来が有望だと感想を漏らしています。郵便配達人という職業ではなく外省人としての将来性を見たのかもしれません。

映画では阿雲が阿遠を捨てて郵便配達人と結婚した理由について明確には触れていません。しかし、兵役の3年間という長さは、無垢で何も知らなかった少女を自分の将来につて現実的に考える大人の女に成長させるには十分な長さと言えます。その将来を象徴するものとして若者が話す北京語が描かれているとも考えられます。

 

失意のうちに阿遠は台北ではなく故郷の九份に帰ります。そこにはいずれ一緒に故郷に帰るはずだった阿雲の姿はありません。

ラストシーンで祖父である阿公(年寄りの敬称:おじいちゃん)と阿遠は深い緑に染まった山林を背景に言葉少なに話をします。阿公「ツルがこんなに伸びては切るしかない。切らないとサツマイモは小さくなってしまう。切ると養分を吸収して大きくなる。サツマイモは朝鮮人参よりも育てるのが難しい。幹伊三妹」。阿遠「今年は台風が特に早い時期に来て、何回やってきたか分からない。おじいちゃんの植えたサツマイモ、今年はきっと良くないね」阿公「幹伊三妹、サツマイモは朝鮮人参よりも育てるのが難しい」。

ここで阿公は繰り返しサツマイモの方が朝鮮ニンジンの方が栽培するのは難しいと言っています。単に手塩にかけて育てたサツマイモが今年は不作になりそうなことを嘆いているようでもあり、阿遠に対して、ありふれていて価値の低そうなものの方が価値あるものとされているよりも手に入れることが難しく手間がかかるのだということを教訓として教えているようにも言えます。この映画のラストシーンでのセリフとして考えてみると後者の方かもしれません。

幹伊三妹の意味するところは

ところで気になるのは阿公が何度も口にする「幹伊三妹」という言葉です。原語の映画では台湾語で行っていますので違う発音をしているのでしょうが、国語の字幕では「幹伊三妹」となっています。この字幕の言葉が中国人の間で意味が分からないと話題になっています。

「幹」は簡体字では「干」、つまり「行う」「やる」の意味の動詞です。「伊」は「彼」あるいは「彼女」の意味。「三妹」は文字通り三番目の妹のことです。この組み合わせでどういう意味になるのでしょうか。

中国語の映画やドラマを見ていると、男が吐き捨てるように言う「他妈的」という言葉が接続詞のように頻繁に出てきます。「妈」は「母親」のことですので、「彼の母親の」という意味になりますが、母親が全く関係しない場面でもよく出てきますので不思議に思い、或る時に会社の中国人スタッフにその意味するところを聞いたことがあります。彼は笑っているだけで答えてはくれませんでした。後で調べて「あいつの母親とXXXXする」という、相手を辱める大変下品な言葉だと分かりました。その言葉が「くそったれ」や「チクショウ」といった程度の意味しかないことでもよく使われるようになったようです。中国では女性が決して口に出してはいけない言葉とされています。

米国の映画でよく「Fuck You」とか「Fucking…」というセリフが頻繁に出てきますがこれと同じ傾向と思われます。

以前に中国で日本チームと中国チームとのサッカーの試合があった時に、日本チームのなかのある選手だけが中国の多くの観衆から名前を呼びながら声援を受けたとのことです。その選手の名前は「玉田」といい、「他妈的」と同じ発音です。普段この下品な言葉を耳で聞くだけで、決して口に出したことのない人たちがこの時とばかりに叫んだと想像するとなかなか面白いですね。

さて、ラストのシーンで阿公が繰り返して口にした「幹伊三妹」ですが、欧米向け版「Dust in the Wind」では、英文字幕でこの言葉を「fuck your third sister」と直訳をしています。これでは観ていた人は一瞬何のことかと戸惑ったのではないでしょうか。日本語字幕では何となっているのか気になるところです。「まったく...」とでも訳しておくのが穏当ではないのかと思っています。

ラストシーンのふたり

このセリフはもともとシナリオになかったと、この映画のシナリオを書いた吳念真も語っていて、どうやら阿公を演じた俳優李天祿がアドリブで入れた言葉がそのままセリフになったようです。それにしても何故三番目の妹なのでしょうか、母親だと表現がきつくなりすぎ、3人姉妹は実際の中国では存在しにくいので表現が軟らかくなるとの説もありますが果たしてどうでしょうか。

李天祿は映画「非情都市」にも出ていて、候孝賢監督映画の常連です。演技とも言えないような朴訥とした自然な演技で独特の雰囲気を醸し出しています。候孝賢監督が大きく影響を受けている小津安二郎映画の常連俳優である笠智衆をイメージしているのかもしれません。李天祿もともと俳優ではなく、伝統的な操り人形師だったとのことですので、役者然としてないのも頷けます。

李天祿この映画制作時は76歳でしたが、1998年に89歳でこの世を去っています。

阿遠役の王晶文も2014年の2月に心筋梗塞で51歳の若さで他界しています。享年から計算すると映画制作時の1986年は23歳だったということになります。吳念真は中国のミニブログサイト「微博」で彼を追悼して次のように語っています「候孝賢の映画「恋恋風塵」で主役を演じた王晶文がこの世を去りました。この映画は彼の人生でただ一度の映画出演であり、素質あるスポーツ記者でした。彼は私自身を演じてくれました。年若い時の私を。」

 

このラストシーンの二人は既にこの世にいませんが、二人が佇んだあの深い緑の山々はあの当時のまま今もあることを願うばかりです。



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