台湾の映画

映画「牯嶺街(クーリンチエ)少年殺人事件」にみる台湾の外省人たちと白色テロ

投稿日:10月 15, 2017 更新日:

この映画では台湾における外省人の世界が主に描かれています。

外省人とは、1945に日本が降伏し50年間にわたって台湾を統治してきた日本に代わり台湾に渡ってきた国民党とそれに同行して来た移民たちのことを言います。それまでに台湾にいた人々は本省人と呼ばれ、原住民と広東省や福建省から来た移民たちとが数百年にわたり融合してきた人たちで、独特の台湾語を話していました。日本統治時代は日本国籍であり、終戦まで同じ日本人だったということになります。

 

国民党が中国共産党との内戦に敗れた1949年以後、百万人以上の中国人が国民党とともに安定して生活を求めて本格的に台湾にやってきました。そして、それまでの本省人たちの財産、職場を奪いさらには知識階級の抹消を狙った殺戮まで行い、自分たちの生活の確保と保身を図りました。しかしやがてその矛先が外省人である自分たちにも白色テロとして向けられ始めたことを知った大人たちは前途に不安と恐怖を感じ身を震わせました。

その親たちの重苦しい空気を察した子供たちはそれぞれに家族制にも似た集団を作り、徒党を組むことで自らの弱い立場を守ろうとしました。



外省人のなかの階級と対立

外省人と言っても一つの集団ではありません。台湾に渡る前の中国における階級がそのまま台湾の地位に反映されたものですが、大きく二つに分けることができます。ひとつは国民党の軍幹部、公務員、教師たち人たち。もう一つは下級の軍人と主に山東省や福建省などの貧しい階層で台湾に活路を見出したい人たちの集団です。

前者の上級階級とも言うべき人たちは、それまで台湾で上級階級を形成していて日本に引き揚げた日本人の残した日本家屋に住みましたが、後者の下級層の人々は眷村と呼ばれる地域に集合住宅で住み共同生活のような貧しい生活環境にありました。小明の母親は喘息を患い女手一つで娘を養いつつ、眷村に住む親族を頼って転々とします。

小四の親は父親が公務員で母親が教師でしたので上級階級に属し、小さくはありましたが日本家屋に住んでいました。小馬の親は司令官という高級軍人であって、広い庭のある大きな日本家屋に住んでいます。日本家屋の屋根裏には日本に持ち帰れずに隠されていた軍刀が多かったようで、このことがこの映画での一つの日本統治時代の象徴として描かれています。不良少年グループ間の血なまぐさい抗争でも日本刀が多く使用されていました。



子供たちの形成した不良少年グループも親の階級をそのまま反映していました。上級階級の親を持つ少年たちは「小公園」と名乗るグループを形成し、親が下級層のグループであり、山東が率いる「217」と対立します。「小公園」のリーダーであったハニーが山東に殺されたのをきっかけに両者の対立が極限に達し、小四は自ら所属はしていなかったものの、自分と同じ階級で友達の多い「小公園」に加担します。

 

監督はその二つの階級のあいだを行き来する存在として小明とその母親を描いています。小明はハニーの元恋人という設定です。

 

本省人への白色テロ ―映画「非情都市」の世界

テロとは政治的な目的を達成するために暴力や脅迫を用いることを言いますが、通常は権力を握っている圧倒的に強力な相手に対して、弱小組織が相手の要人を個別に襲うなどの戦術を言います。一方白色テロとは逆に権力側が政治的敵対勢力に対して直接的に行われる暴力行為を言っています。

台湾での国民党による白色テロは1947年2月28日に起きた228事件に端を発した本省人への徹底した弾圧として起こりました。中国大陸で培われた汚職と「たかり」の性癖にまみれた国民党軍の統治政治は、日本の清廉な統治政治に馴れていた本省人にとっては我慢のならないものでした。その日、一人のヤミ煙草を売る本省人の中年女性が官憲に蹂躙される事件が起き、そのことを抗議するために役所に詰め寄った民衆に対して、軍が機関銃を掃射して追い払ったために多くに犠牲者が出ました。これがきっかけで中華民国統治に不満の鬱積していた全国の本省人に抗議運動が起こりましたが国民党側は各地で無差別発砲や処刑を繰り返すだけでした。

本省人は対抗手段として日本語で話しかけて日本語が通じない者は外省人として暴行に及びました。本省人と外省人との対立という構図になってしまいました。台湾行政府長官陳儀は行政改善などで対話の姿勢を示して時間を稼ぎ、その間に蒋介石に窮状を訴えて援軍を依頼しました。

到着した援軍を背景に行政府は抗議する民衆を殺戮でねじ伏せただけではなく、日本の高等教育を受けた大学教授、企業経営者、法律家、裁判官を次々と逮捕して処刑して行きました。本省人の知識階級を皆殺しにするという恐怖政治の始まりでした。1992年に台湾の行政府は、事件の犠牲者数を1万8千〜2万8千人とする推計を公表しています。この白色テロを描いた映画としては侯孝賢監督の「非情都市」が有名で、世界でも高い評価を受けています。

外省人への白色テロ

本省人を恐怖政治でねじ伏せた国民党政府はやがて自分たちと同じ外省人にも白色テロを仕掛けてきました。共産党との内戦に敗れて台湾に逃げ込んだ蒋介石が、外省人の中にいる共産主義者やそのシンパ、さらには政府に対する不満分子を逮捕し、拷問にかけて仲間を自白させた後、処刑するということを繰り返し始めました。

恐怖政治の古典的方法として、理由を言わずに民衆を逮捕して、尋問のうえ身の回りの誰か知っている不穏分子或いは不満分子の名前を上げさせるというのがあります。実際にどうかは問いません。次に逮捕されるべき誰かの名前を挙げれば自分が助かるのです。民衆は密告者ばかりとなって、周りの人に疑心暗鬼となり個々に分断されます。結集して権力に対抗する力は消え失せ、そして恐怖心だけが残ります。

小四の父親の恐怖

嵐の夜に不良少年たちのグループ間抗争は最終局面に突入します。その夜小四の家の日本式玄関に男たちが現れ、理由も告げずに父親を警備本部に連行していきます。父親は小四の通う建国中学によばれて学校の教育方針に対して批判的な意見を述べたりするシーンがありました。

尋問室で尋問官は父親の交友関係について問いただしましたが、父親は正直に答えるだけで、尋問官が期待する回答をしていないようで何度も尋問を受けます。次第に憔悴して自信を無くしつつある父親があるとき尋問室を出て廊下を歩いているときに大量の氷塊が運び込まれているのを目の当たりにします。それは尋問者の拷問に使われていると思われるもので、その氷の上に正座させられて供述書を書かされる情景が目に浮かび父親は恐怖におののきます。

次の尋問で尋問官は父親の友人の一人の名前を挙げ関係を書けと言って部屋を出ます。自信を無くして恐怖にかられた父親は一晩で交友関係のある人すべての関係を期待に沿った内容で供述書を書き上げました。白々と夜が明けた取調室にどこからともなく「帰っていい」いう声が聞こえ、父親は解放されます。

しかし、父親は既に以前のように信念を持った彼ではなく、自信を完全になくした、何かに常に怯える弱々しい人間になってしまっていました.この時期に逮捕された人々は2万人を超え、そのうち処刑された人は4,000から5,000人と言われています。

228事件の起きた日に布告された台湾での戒厳令は、政治活動と言論の自由に大幅な規制を加えつつ、白色テロを引き起こして1987年にやっと解除されました。布告期間40年間という世界史上で最も長い戒厳令として歴史に名を残すことになりました。その4年後の1991年にこの映画が公開上映されています。

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