中国で働く人々 中国の歴史

南京大虐殺記念館を訪ねて思うこと

投稿日:9月 17, 2017 更新日:

中国に赴任することになり、まず気になったのが中国における反日感情でした。

かつて自分勝手な理由で他国に軍隊を派遣して戦争を仕掛けた、そのためにその国人々が1000万人以上も死ぬことになった。その子孫が住んでいる街に住んで、「お前の国が攻めてこなかったら大勢の人が死ななくて済んだ」と責められたらどう返事したらいいのだろうかと正直いって悩みました。しかし、3年半の滞在期間中にそのようなことを言う人には出会わずに済みました。

駐在して2年経った2010年9月に尖閣諸島中国漁船衝突事件が起こり、各地で反日デモが行われました。日本車が標的になったりして過激な行動もあったようですが私の住む上海の郊外は日本企業が多く進出していて日本人も多いのですが何事も起きず平穏そのものでした。反日デモは民衆から自然発生的に起こっているのではなく、何かにコントロールされている感じがしました。

テレビでは連日、抗日戦線のドラマが複数の局で放映されています。これでもかというほど極悪非道な日本兵が出て来て、それを一度は苦境に立たされた主人公がみごとに跳ね返して八面六臂の活躍して日本兵を懲らしめるという、おなじみの展開を飽きもせずやっています。さぞかし中国人は皆、日本人を憎んで忌み嫌っているのだろうと思っていると、どうもそうでもないのです。そんなドラマが好きで観ていそうなスーパーのおじさん、おばさんに自分は日本人だと告げると大抵は相好を崩して「そうか日本人なのか」と嬉しそうにして、日本について自分が知っていることを披露しだしたりするのが常でした。日本がかつて中国で行った侵略行為を中国人は実際どう思っているのか、直接個人に聞く勇気は私にはありませんでした。

2011年5月1日にかねてから行きたいと思って行きそびれていた南京大虐殺記念館(中国名称:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)に思いきって行くことにしました。南京は上海から北西に200キロ程度の距離にあり、東京から名古屋に相当しますので、最近できた中国版新幹線を使えば2時間ほどで行くことができます。と言っても一人で行って帰ってくる自信はなく、会社で品質保証を担当していて南京の大学で日本語を専攻した女性張さんに案内を頼んだところ快く受けてくれました。彼女が休日で南京の実家に帰るときに合わせて、私が一人上海駅から南京駅に向かい、彼女が南京駅で出迎えてくれて記念館と南京の市内の観光スポットの案内をしてくれることになりました。

日曜日の朝8時の上海虹橋(ホンチャオ)駅は行楽に出かける多くの人で混雑していました。

何とか9時発の中国版新幹線である和諧号の切符が買えました。2等の指定席で146元(この時のレートで1900円)でした。

和諧号の連結車両

車内は日本の新幹線とあまり変わりません。ただし、乗客の中には指定席を無視して勝手に自分の気に入った席に座る不届きものがいるので気が抜けません。その場合は本人に行っても「ほかに席が空いているのだからそこに座ったら」と言われるのがオチなので、車掌を呼んで注意してもらうしかありません、車掌に注意されるとさすがにどいてくれます(体験談)。

南京駅についたらこれまた大勢の人で混雑していて出迎えてくれているはずの張さんがどこにいるのやら全く分かりません。携帯電話で連絡を取りながらやっとのことで会うことができ一安心。連結している地下鉄の切符を買うために長い行列に並びました。

地下鉄3号線に乗って3駅目の大行宮駅で2号線に乗り換え5つ目の雲錦駅で地上に出て100mほど歩くと目的の南京大虐殺記念館に着きます。

当日は日曜日であったためか大勢の中国人が列をなして入館を待っていました。事前に2時間ほど並ばなくては館内に入れないと聞いていましたのでそれほど驚かなかったのですが、人気イベント会場での順番待ちのように若者のグループや家族連れで長い列ができていました。

案内をお願いした張さんとその中に紛れて並んだが、彼女は大学で日本語を専攻したので日本語が堪能で、私と通常話すときは日本語であるのはもちろんであるが、さすがにその時は日本語で話すことはしないようにと予め彼女から言われていた。

2時間も会話もせずに立っているのは却って怪しい感じがすると思われたので流暢とは言えない中国語で会話をしたが、中国では方言が多く、省が違うとまるで方言が通じないためにお互い標準語で話すことになるが、あまり標準語が上手でない中国人も多いので、私の話す日本語なまりの怪しげな中国語を聞いたとしても、外国人だとは思われないのでした。

入館待ちの行列の中。若い人が多く、日差しが強いので傘をさしている人も多く見られます。

その日はよく晴れていて日の光が降り注いでいましたが5月の初旬ということもあって陽気が良く立っているのもそれほど苦にならず、結局1時間ほどで館内に入場することができました。

館内は、日本の美術館での人気絵画観覧と同じようにコースになっていて順番に観た後館外に押し出されるようになっていました。当然ながら館内は写真撮影禁止です。

展示は主に写真とビデオそして「万人杭」の遺跡再現レプリカでした。個人的には戦争に関する書物や写真にこれまで多く触れてきたせいかもしれませんが、展示されている写真はほとんどが日本でかつて見たことがある写真でした。特に南京虐殺の証拠写真と言われているが、実は別の戦地での写真であったり合成写真であったりと疑われている問題写真などが詳しい説明もなく展示されていました。「百人切り」の写真もありましたが、日本での報道で使われている写真ばかりが展示されていました。

ビデオは元日本軍兵士が当事者として当時の虐殺の状況を自省的に述べているもので、その日本語の述懐を聞いていると何ともやりきれない感情が起きるのを抑えることができませんでした。

南京虐殺の犠牲者の数は中国政府の発表では30万人とされており、日本側の調査では1~2万人とその差は大きく隔たっています。現実なところでは10万人前後ではないかとする日本人学者も多いようです。たとえ最小の数字を取ったとしても1万人もの無抵抗の人間を組織的に殺害したわけであり、そのむごたらしい行為を同胞の加害者が告白するインタビュー映像を被害者の国で、しかもその国も人たちと一緒に観ることは耐え難いものでした。

 

最後のコーナーは死体が埋められた場所の広い再現レプリカのようでした。人骨も見え「万人杭」との説明も見えます。そのレプリカは、日本の博物館などによくある古代遺跡の集落跡や埋葬場所の展示物と何ら変わりはなく、この展示が何を意味するのかすぐ見た目には理解できないものでした。そもそも「万人杭」は日本による強制労働に狩り出された人々の埋葬場所ということになっていますが、実態は不明なところが多く、そのようなものは存在しなかったとの反論もあります。まして南京虐殺とは直接関係のないものと思えます。それが何故この記念館で広い展示面積を占めて展示されているのか不思議な気がしたものです。

 

このレプリカを戸惑いながらも見ているうちに館外に押し出されてしまいました。外は広い公園になっていて、虐殺をモチーフにしたオブジェがあちこちに置かれており、さながら屋外美術館の様相でした。あちこちで多くの人がグループになって座っていましたが、その人たちは私と同じように記念館を見終わった人々なのでした。しかしその様子は野外美術館の展示品を見てくつろいでいる行楽客にしか見えず、極悪非道の残虐行為の展示を観終わった人たちとは思えませんでした。

記念館の出口から押し出された人たちと入館待ちの長い列(向こうに見える)

虐殺をモチーフにした像が至る所にあります

私も案内をしてくれた張さんと芝生に座り、未だに続く入館待ちの長蛇の列と広い公園をしばらく眺めていました。入館前に抱いていたこれから衝撃的な事実を突きつけられても逃げずに向かい合うとの意気込みはいつしか消え、拍子抜けたように脱力感を覚えてのどかに見える景色をぼんやりと眺めていました。


広島の原爆資料館を見学した時は、実際に起こった痕跡を突きつけられ強い衝撃を受けたものです。特に、あの実際に破壊された建造物である原爆ドームのもつ圧倒的迫力はその場で見上げた者でないと分からないものです。写真やレプリカなどから受ける刺激は目を通して脳でとらえる感じですが、体で感じる迫力があります。

南京虐殺記念館の展示物からは事実の痕跡が示す迫力が全く感じられませんでした。日本軍の兵器なども展示されていましたが、通常の兵器を寄せ集めてただ展示しているだけで虐殺を想起させる者ではありませんでした。正直な感想としては、とりあえず関係すると思われるものをかき集められるだけ集めて並べてみましたというふうにしかみえませんでした。

 

1982年に鄧小平の指示で中国共産党が打ち出した愛国主義教育の一環として、全国に日本の中国侵略の記念館・記念碑を建立するに指示が飛びました。この南京虐殺記念館も急遽設立することになったのですが、既に南京市内には虐殺の事実を示す事物が何も残っていなかったのではないでしょうか。そこで、既に日本などで公開されて議論にもなっていた写真を真贋など検討もせず流用して展示した。そんな気がします。

 

日本軍が南京に入城した1937年12月の前には、南京市内には100万人の住人がしたと言われています。日本軍が南京陥落を目指していると聞いて多くの住民が避難したり、逆に日本軍に蹂躙された多くの農民が城壁内に逃げ込むなどしてきており結局日本軍が障壁に迫った時には城内には50万人近い人々がいたと言われています。戦後避難していた元の住人が戻り短時間で以前の人口に戻っていることが人口統計で明らかになっています。

もし、中国側が主張する虐殺された人数が30万人もいれば、このような短時間での人口も含めた復旧は現実的に困難であることから、このことが30万人説を否定する根拠とされています。

いずれにしても、短時間で南京市内は復興し、日本軍との戦闘で破壊された城壁も修復されました。その過程で戦争の痕跡は一掃されたのだと考えられます。

日本には虐殺そのものが存在しなかったと主張する人たちもいるくらいですから、なんら事実を示す物的痕跡が保存されなかったものと思われます。

 

中国の歴史は大量虐殺の歴史とだという人もいます。時の権力者が取って代わる時には決まって大量の虐殺があり、その数は半端ではありません。南京市だけでも19世紀に入ってから何度も南京虐殺と呼ばれる事件がありその都度、数万人から30万人の人が虐殺されたと言われています。南京市民は苦難の歴史を背負っていると言えますが、その都度立ち直っていく生命力には感心します。

誤解を恐れずに言えば、日本軍による数万人規模の虐殺は傷ましいことではありますが人々はいつまでもそれに拘る余裕などなく過酷な現実を生き抜くことに精力を傾けてきたのだと思います。

戦後すぐには国共戦争、共産党による体制変換、大躍進政策による飢餓、文化大革命などなど、苦難が繰り返し人民を襲いますが、彼らはたくましく生き残ってきました。因みに毛沢東の失策である大躍進では農地が荒廃し2000万人から4000万人もの人がなくなった言われています。このことさえも未だに中国共産党は国民に真実を知らせていません。実際の犠牲者はどのくらいか積極的には詳細な調査していないと思われます。

 

1970年代では中国の人にとって日本はむしろあこがれの国であったはずです。人々は映画やテレビを通して高倉健や山口百恵に憧れ、車であふれる日本の街の映像にくぎ付けになりました。その時は反日感情というものはなかったと思います。日本との戦争は遠い昔の出来事のように感じていたでしょう。しかし、天安門事件で危機感を覚えた中国共産党がその存在意義を確保するために、ことさらに日本の過去の侵略を喧伝して愛国心をあおる政策をとっている。そのことをこの南京虐殺記念館が如実に示していると思えてなりません。

私たちはしばらく公園で休憩した後、日本軍が凱旋した南京城壁に向かいました。

→関連記事:南京城門に戦争の痕跡を探す

:中国語の先生が大学で日本語を専攻した理由とは

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