中国で働く人々

出稼ぎの若者たち(農民工)の生活は日本の尺度で捉えてはいけない

投稿日:3月 14, 2017 更新日:

私の勤務する上海工場のいわゆる農民工と呼ばれる人たちが1,500人ほど働いていました。その彼らの暮らしぶりについては余り語られることはないように思いますので少しお話したいと思います。

私の工場では小さな部品を生産している工場ですので、地方から出稼ぎで来ている農民工と呼ばれる人たちは主に部品の組立てや自動機で組み立てたものの検査に従事しています。細かい手先の仕事や顕微鏡を使った検査は女性のほうが向いていると一般的にいわれていますが、そのような仕事で採用されるのは全て女性です、

製造現場でも男性の作業員がいますが、工業高校などの技術系の専門教育を受けているものに限られます。おのずと給料の差はありますが、男女の差によるものではなく一応能力の差ということになっています。女性1,300人に対して男性150人程度の構成比になります。上海周辺に進出している日本企業の従業員構成はこれとあまり代わりはないのではないかと思います。



一度広東省の日系企業の工場を見学して驚いたことがありました。それは製造ラインの中に男性が混じって作業指定していたことでした。上海では見られない光景だったので思わず「問題はないのか」とその工場の人に質問をしてしまいました。答えは「全く問題なくむしろ全体の流れがいい」とのことでした。

以前は同じように女性のみを使っていましたが徐々に給料のいい上海などの地域に出稼ぎに行く女性が人手不足になったことから男性も採用することになったそうですが、採用すると意外とまじめに仕事をして積極性もあるということで少しずつ男性の作業員を増やしているそうで、これはこの工場だけの話ではなく、広東州全体での傾向らしいです。それを聞いていつか上海でも試してみようと考えましたがその機会がないまま日本に帰国することになりました。

出稼ぎの若者に課せられた故郷の期待

さて、2010年当時の最低賃金は中国国内でも最高だった上海でも約1000元(13円/元)でした。最初に採用されたときの給料はその年の最低賃金からスタートします。

彼女らは残業を頑張って、1500元ぐらいの給料でそこから年金と保険を引かれて手取りは1200元ぐらいでしょうか。

そのうちの半分を故郷の実家に仕送りします。これは一部の親孝行な娘の話ではなく、殆どの従業員がそうしています。地方の農村で高校を出て都市に出稼ぎに行くということはそういうことを意味しています。親もそれを当てにしています。

中国の地方では50歳になると隠居して子供に食べさせてもらうのを当然として、子供に仕送りを要求するのです。なかには年間で1万元とか金額を決めて催促する親もいます。手取り1300元の月給でどうやったら年間1万元も仕送りができるでしょうか。

彼女たちからこのような話を聞いたときはひどい親もいるものだと思いましたが、彼女らはそのまま当然として受け入れているのですから、日本人の感覚で同情するのは却って彼女らに失礼になるようにも思えました。これも文化・習慣の違いと捉えなくてはならないのでしょう。

どうしても親との約束を果たせない女性は、手っ取り早く稼げる夜の仕事に走るか、多少器量のいい人は金に余裕のある男性の世話になる道を選びます、これらのことは日本人が感じるほどの悲壮感はなくひとつの選択肢として彼女たち捉えているのだと思えます。


話を戻して、手取りの半分を実家に渡して、残りの750元でどう暮らすかですが、まずは住まいです。上海市の郊外といっても中古の賃貸マンションで2LDKの部屋は2000元/月はします。とても一人では借りられません。日本のように三畳一間などといったものはありません。したがって、複数で借りるいわゆるルームシェリングをしなくてはなりませんが2,3人でもまだ払える額ではありません。

結局彼女らは古い農家を借りることになります。市街地ではもう農業は出来ませんので別の職業について小区のマンションに移り住んでしまっていますので、農家が誰も住まずにそのまま残っている地域があります。それを安く借りてハウスシェアリングしているのです。そうすると一人当たり50元/月程度で済みます。同じ上海市であっても中心に近い区では既にこの旧農家が駆逐されていますので出稼ぎの若者には住みたくても住めないという現実があります。

やがて、給料が上がり手取りが2,000元程度になると6,7人でマンションの1室を共同で借り3,000間程度になれば二人で借りてそれぞれが1部屋ずつを占有する、といった具合に進んでいきます。

→関連記事:上海の工場で働く人の賃金はどのくらい?

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ひとつ部屋に12人が共同生活

現場で働く出稼ぎの農民工だけではなく、大学を出て事務所で働く女性の中にもこの旧農家から通勤している人も少なからずいます。私は従業員の大半が住むという旧農家なるものがどういうものか一度見ておく必要があると感じ、総務の課長に手配を依頼をしました。課長は、そんなことをいう日本人は初めてだというような顔をして、そのうち機会を作りましょうと言いながらそのままにされてしまいました。

あるとき日本語が多少出来るある社員に従業員がどんな生活をしているのか実際に見たいのだがと依頼すると、次の日曜なら案内してくれるというのでお願いすることにしました。

当日になって、時間を決めて落ち合った彼女はある小区にある5,6階建ての比較的低くて古いマンションの1室に案内してくれました。そこは2LDKの部屋でしたが、女性12名と男性1名の合計13名が住んでいるとのことで驚いたことに全員が外出せずに私が来るのを待っていてくれました。

居間の大きな、テーブルというよりは台といったほうがいいものの回りに全員は座りきれず数人は立ったままで小1時間話をすることが出来ました。彼らが用意してくれた果物をご馳走になりながら私は「こんなことなら何か手土産を持ってくるのだった」と後悔しましたが後の祭りです。

彼らは同じ福建省の同郷の人たちで集まっており、私の工場以外の会社で働いている人も何人かいました。そのうちの数人は現場の管理業務をしている女性たちで工場見回りのときなどで見知っている人たちでした。

意外だったのは、一人の男性はそのうちの女性と夫婦であり2つしか部屋がないのに夫婦で1部屋占有しているとのことでした。後の11人はどうやって寝起きしているのかは聞くのは少しためらいがあって聞き漏らしました。

やがて1時間ほど経って案内してくれた女性が、それではそろそろ旧農家へ行きましょうというので、皆さんにお礼を言って外に出ました。皆さん外まで出て見送ってくれましたのでたのでそこで記念写真を撮ることにしました。それではといって手を振って歩き出したところ5人ほどの私の会社の従業員の人が一緒に歩き出しました。どうやら旧農家まで付き合ってくれるようでした。

途中で路線バスに乗ってバス停を3つほど過ぎたあたりで降りて、細い道を歩いて旧農家に向かいましたが、バスの中といい道中彼女らは実に無邪気におしゃべりをしながら笑い転げていました。

どこか懐かしい元農村の集落

数分歩くと道はやがて舗装していない農道のようなものになり行く手に平屋と2階建ての建物の一群が近づいてきました道の左右は畑のようですが何も植わっていません。いかにも古い農村のような雰囲気です。集落の入り口には一人の若い女性が待っていてくれました多分私の会社の従業員なのだろうと思いますが顔に見覚えはありませんでした。何せ工場には1000人以上の同じような年頃の女性がいて、しかも製品に異物が混入しないように目以外を防塵服ですっぽり覆っていますので、区別するのは困難です。

待っていてくれた彼女は共同の水道が出る水汲み場やボイラーがある給湯場を案内してくれました。お湯は有料で管理しているおじさんにお金を出して、バケツにお湯を入れてもらうのです。バケツのお湯は何に使うかというと部屋に持って帰って、身体を洗うのに使うつまり行水をするのに使うのです。

この集落では風呂もシャワーもない昔ながらの行水で身体をきれいにするのです。共同のトイレは集落の外に畑のような場所にぽつんと建っており、とても夜一人で行くのは男でも勇気がいると思いました。

彼女に部屋も見せてもらえるか遠慮しながら聞いたところ、いいですといってくれて案内してくれました。石造りの2階建ての1軒の階段を上がる都何部屋か並んでありそのうちの1部屋が彼女の住まいで3人で住んでいるとのことでした。8畳位の広さで、小さな台所のようなものがありますが水道やガスは来ていません。ボンベ式の卓上コンロがあってやかんが乗っている程度でした。余りにも質素で若い女性が3人で住んでいる空間にはとても見えなかったというのが正直な印象でした。

30分ほどでお礼を言ってもと来た道を戻りましたが、案内をした彼女も一緒についてきました。やがて先ほどバスを降りた幹線道路に着くと彼女らはこのまま地下鉄に乗って上海市街に遊びに行くといって200メートルほど先の地下鉄の駅に向かって歩き出しました。

どうやら、彼女らは仲良しグループで一緒に上海市街に遊びに行く予定だったところをその前に私に付き合ってくれたようでした。私も地下鉄の駅まで一緒に行って礼を言って分かれた後、駅前で客を待っていたタクシーに乗って自宅に戻りました。

自宅に帰ってからその日に見聞きしたことを思い出して考えました。旧農家は想像していたとおり、粗末なもので質素そのものでしたが、やはり実際に目にするとその思いを強く実感しました。遠い昔の子供のころ身近で見ていたような妙に懐かしい風景でしたが、その風景と若い彼女たちとの対比がどうしてもかみ合わない気がするのでした。

彼女たちは化粧こそ全くしませんが、日本の若い女性のように洒落た服をまとい携帯電話を使いこなしながら屈託なく笑います。古い農家に住んでいることなど気にしていないように見えます。

中国という国はこれからどう転ぶのか分からない国ですが、その分若い人には可能性と希望があるのかもしれません。そのいずれもすでになくしてる日本のおじさんが彼女らに同情の気持ちを抱くとしたら、それはお門違いというものかもしれません。

あれから6年が過ぎ、上海の最低賃金が2倍になっていますが彼女らの生活はどれほど向上したのかと思わないではいられません。
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