中国で働く人々

中国人は自分勝手? 【上海工場での賃金めぐる攻防戦】

投稿日:2月 12, 2017 更新日:

最低賃金の引き上げがあると、従業員の給与を見直ししなければなりません。

採用した従業員でいわゆる農民工と呼ばれる人は、その年の最低賃金で雇用することになります。私の工場では毎年6月に賃金の見直し(昇給)をしていました。それまでは最低賃金のままです。
市の最低賃金が上がるとそれを適用しなければ法律違反になりますから即座に最低賃金だった従業員の給料を上げなければなりません。そうするとその年以前に雇用された人よりも給料が多い、或いは差が縮まることが発生しますので、不満が出ないようにほかの人とのバランスを考える必要が出てきます。

つまりその1年前に雇用になった人の給料も上げることになるのですが、そうなるとその前の雇用の人との差の調整が必要になり、結局のところ、別の給料体系になっている管理職を除く全員の給料を上げなければならないことになってしまいます。 この全体の上げ幅を検討するのが大変な作業となります。

給料の見せ合いっこは当たり前

工場の就業規則の中に「自分の給与内容を他の人に公開してはならない」というのがあります。日本にこんなことを掲げている就業規則はないと思いますが、中国では当たり前のことです。

この規則があるにもかかわらず、彼らは配布された給与明細を見せ合いその日のうちに人事課に文句を言ってきます。誰それの給料が自分の給料よりが多くなったのは納得がいかないというわけです。

それなので、給料の見直しは細心の注意を払い1500人はいる従業員全員の給与を比較しながら不満の出ないように調整しなければならなく、大変な労力を要します。昇給時の査定や、その時々のトップが恣意的に個別に給料を上げたりしていますので、同じ時に入社したものでも1年後にはかなりの給料にばらつきが生じています。従って一律には行かないのです。

6月の昇給時の検討はさらに注力が必要になります。各人の1年間の査定と勤続年数を考慮して逆転現象が起きていないか念入りに検討をします。1年以内に辞めていく人が半数を超える中で勤続3年を超える人にはそれなりの優遇をしなければなりません。

なやましいのが幹部職員の給与です。一定の基準はあるものの、欲しい人材は基準を無視して多額の給料で雇い入れたり、トップの判断で個別に決められたものがあって状況を複雑にしています。

スポンサーリンク

私の工場は他の近隣日本企業よりやや給与水準が低いのですが、中国企業よりはもちろん高い給与となっていますが、ほかに給与の良いところがあると簡単に辞めていきます。
辞める時も日本のように「一身上の都合」などといった紋切り型ではなく「給料を2倍出すところがあるのでそこに行く」といった明確なものです。

優秀な人材ほど辞めるていく

辞められてもさほど困らない人には「どうぞお好きなように」ということになるが、辞められると困る人にはそれなりの条件を出して引き留めにかかります。場合によってはトップの判断で破格の給与にする場合があります。

日本企業のトップは大体3年ほどで交代していきますので、「なぜこの人は給与がこんなに高いのだ」と理由がわからず、昇給時期になるたびに他の人との調整に苦慮するような人もいます。

中には辞める気持ちがないのに、いくらに上げないと辞めると毎年行ってくる人もいます。この辺は腹の探り合いといった駆け引きになり、日本ではできない経験ができるのである面では楽しくもあります。

彼らには日本人のような会社に対する帰属意識というものが低く、条件のいいところがあれば簡単に移っていきます。
3年も一つの会社にいれば長い方で、その経験を売り物に次の会社でより高い給料を得て、またステップアップしていくのが当たりまえの感覚があります。

中には日本人の感覚に近く、能力も高い社員がいますので特別に目をかけて優遇していたつもりが、ある日突然給料の高いところがあるからと辞められてがっかりするときがあります。中国人はなんてドライな人種なのかと思ってしまうこともあります。

しかし、2,3年で帰国することになる日本人幹部のなかに、中国人スタッフの5年先のことを考えている人がいるかと問われれば否としか答えようがありません。彼らは自分の将来のことは自分で切り開くしかないと考えているだけなのです。

→関連記事:上海の工場で働く人の賃金はどのくらい?

→関連記事:上海工場での人集め作戦

→関連記事:出稼ぎの若者たち(農民工)の生活は日本の尺度で測れない

スポンサーリンク

スポンサーリンク




スポンサーリンク




-中国で働く人々

執筆者:

関連記事

中国映画「非誠勿擾」のヒットと反日感情

上海に駐在していたときは、年に2,3回は日本に帰っていましたが、上海に戻る際には羽田空港の免税店で会社の中国人スタッフ用にお土産を買うのが常でした。身近で仕事をしている中国人スタッフは30人程度います …

上海工場での人集め作戦(一日で500人を集める?)

私が仕事をしていた上海の生産工場では従業員は、少ない時で1300人、多い時で2000人を超すことがありました。 大量の注文があって生産量をなくてはいけないときは自動組み立て機などの設備を増設せずに、大 …

日本語を短期間でマスターした中国の若者の前途

赴任者のこまごまとした手続きやら必要なものを揃えてくれるのが総務課の紀さんでした。彼はまだ18歳でしたがとても気の利き、フットワークが軽い陽気な青年でした。とにかく日本語が上手でその年齢で驚くことに日 …

南京大虐殺記念館を訪ねて思うこと

中国に赴任することになり、まず気になったのが中国における反日感情でした。 かつて自分勝手な理由で他国に軍隊を派遣して戦争を仕掛けた、そのためにその国人々が1000万人以上も死ぬことになった。その子孫が …

二人の「小鬼子」・・・・日本人の秘めたる狂気

上海市の郊外の街に住んでいましたが、工業団地に海外企業を誘致していたためにすくなからず日本企業が工場を持っていました。またそれらの現地工場にサービスを提供する企業も多く進出していました。 そのような関 …